生活に役立つ心理学

本日カウンセラースクールの受講を終えました。

先日、修了試験を受けて、それに6割正解していれば「修了」となるのですが、結果は今月中に出るようなので…(^^;


いろいろなご縁を経て、去年の8月にスクール受講をさせてもらえるようになり、約9カ月毎週通いました。

最低限の心理学の基礎知識やカウンセリング技法でしたが、あくまでも一番の目的は「自己研鑽」というもの。

誰かの面倒を見る、しかもその人にとってはとっても重たいであろうことも含めて、その人を見て行くというのは、とってもしんどいことなんだと思うのです。

だからこそ、自分は身軽でいないと。

人って勝手に自分で荷物を抱えて、下ろせばいいものを下ろせないで潰れて行くこともあるし、下ろし方が分からなくなることもある。誰でも何かしらで、そうなってしまうことはあるからこそ、自分での荷物の下ろし方がある程度分かっていないと誰の面倒も見られないと思うんですよ。

だからこそ、自分の面倒をある程度見られるよう、自己研鑽をしていく必要があるというのが、カウンセラースクールの初級講座を学ぶ理由でもありました。

上級講座はスクール側の都合で運営が当面先になりそうとのことなので、また改めて連絡を頂く予定です。

私が受講した初級講座も、多分今後の運営は未定なんじゃないかなぁ、と思います。

そのため、スクール情報はお伝えできませんのでご了承ください。


んで。

そういう前提で学んできたものをインデックスでご紹介。( )内に回数がないものは単発の内容でした。回数が多いものほど重点的にやったもの、有用性があるとスクール側が判断したものだと踏まえて頂ければ。

  • 来談者中心療法(全2回)
  • フォーカシング
  • ユング心理学
  • 交流分析(全5回)
  • 精神分析(全2回)
  • ゲシュタルト療法(全2回)
  • インナーチャイルド(全3回)
  • 認知療法(全3回)
  • DSMとICD・アセスメント
  • 精神医学(全3回)
  • パーソナリティ障害(全4回)
  • 薬とカウンセリング
  • 傾聴訓練(全4回)

本当に受講して良かったな、って思っています。

私自身、今から10年くらい前に精神的疾患を発症していて、人生初のカウンセリングでひどい目に遭い(苦笑)、その後通院をして、投薬治療で安定を取り戻せて。

その投薬治療を6年~7年くらいしていたのかな?

でも自分の感覚値として「投薬治療って、対処療法で根本治療じゃないんだな」というものがあり、主治医からも「あなたの場合、カウンセリングを受けた方が回復が早い気がする」と言われたこともあり(その時は費用面と、予約状況から実現が難しいと思って、投薬治療の継続を選びましたが)、主治医の許可を得て投薬治療を止めてから、言ってしまえば恋愛関係のトラブルをきっかけに、カウンセリングを受けるようになりました。

カウンセリングはそれ以外にも「色んなものに可能性があるかもしれない」と思って、複数受けてみたりしました。

そんな自分自身の経験があったため、講座内容も自分の経験だったり、周囲の人の様子だったりで思い当たるものも沢山あったりで、本当に生活の中に心理学がいかに活かせるのか、むしろ知っておいた方がいいのではないか、と思うことが沢山ありました。


生活に役立つ心理学


たとえば、「交流分析」と「インナーチャイルド」を多少でも知っておけば。

間違いなく育児に役立ちます。

どんな言葉を子供にかけてあげれば、子供が将来、不登校になったりイジメをしたり、遭ったりしないようになるのか、精神的な疾患を発症したり、自殺するようなことにならないのかなどが、分かりやすく見えて来るように思います。


そして「フォーカシング」は本格的にカウンセリングの療法として実施するには高いスキルを要しますが、簡単なものを取り入れる程度でしたら、日々の自分の体調管理に役立ちます


そして、ある程度の精神医学を知っておけば、発達障害なども含めての特徴が掴めるため、それが「性格起因」(改善の余地がある)なのか、「先天性のもの」(周囲の理解と助けが必要な状態)なのかが分かるため、こちらの接し方も見えて来るように感じました。


あと、パーソナリティ障害

これは言葉を選ばずに言えば、普段の生活の中で「何なの、あいつ!本当腹立つ!異常だよね、死ねばいいのに!」くらいの強いネガティブな感情を与えてくるような人、たまにいると思うんですよ…。

そういう人たちが何かしらのパーソナリティ障害の特性を持っているとしたら、やっぱり距離の取り方や相手との接し方が見えて来るように思います。


とにかく。

自分のこともそうですけども、他人のことも少しでも「知る」ことが出来る可能性を多分に秘めた講座だったな、と感じています。


「知る」ことの有用性


人はなぜ相手を攻撃したり、差別するのかといえば。


「自分とは違うから」ということではなく。

その1つ前の段階として。

「その違いが起きる背景を知らないから」があると思うんです。


知らないって、不安なんですよ。恐怖なんですよ。

だから「近づいて欲しくない」んですよね。

だから、攻撃したり差別するんだろうと思うんです、人って。


別に「理解」までしなくていいと思うんです、ハッキリ言って。

「知っている」からこそ「理解」して「可哀想」と同情することが目的ではないはずなので。


「知る」ことが出来れば、無意味な差別や攻撃は少なくなると思うんです。

不安や恐怖が減るはずなので。

勿論、知った上で差別や攻撃をしてくる人もいますが、それはその人自身の問題なので、介入は出来ない、踏み込めない領域だと思うんですよ。

その人にも、知った上でも差別や攻撃をしたくなる、何かしらの感情があるのかもしれないですしね。

そんな何かしらの「背景」があるのは、誰しもお互い様なんですよ。


とにかく、少しでも「心理的な背景を知る」ことに、もっと多くの人たちが積極的になっていけば、無意味な差別や攻撃は少なくなっていく気がしています。


私たちは人間で、集団生活をする動物として生きていますよね。

他人との交流をしながら生きていますし、むしろ、他人との交流がなければ、人間は死んでしまうと言われているくらいで、「人間」まさに「人の間」の中で、ヒトという動物は生きています。


自分とは違う人がいるのは当たり前で、誰ひとり同じ人なんて、いません。

きっと人間が「高等動物」と言われるのは、道具が使える、道具が作れる、ということではなく、「同じ生命体なのに、全く違う性質の者同士でも一緒に暮らせる能力がある」ということなのかもしれない。


人が人らしく生きるためには、そして人類が存続していくためには、お互いの「違いを認める」、なんていう高尚なことが出来なくても、「違いがあるということを知り、その違いを学ぶ」ということが必要なのではないかな、と思えています。


私は何となくそう思っています。


誰しも自分が「普通」であり「標準」であり、自分が信じた価値観が「正義」だと信じています。

それは誰しも一緒です。


上記のような「誰しも一緒」という根っこの部分だけがあればいいのに、枝葉の部分まで「誰しも一緒」を求めるから、おかしなことになる。


争いが起き、攻撃が起き、差別が起きる。


何となく、そんな気がしています。


世の中を変えるなんて、大したことは誰にも出来ないと思うんですけど(笑)、それでも自分の目の前に見える、自分の周囲だけでも幸せに、争いのない状態にしていきたいですね。


そして私と似たような感覚の人が沢山いてくれたら、もっと穏やかに暮らせるんじゃないかな、どんな人も。

別に私のようになれとは言わないですが、せめて、相手のことを「知る」こと、「学ぶこと」を少しだけでも意識してくれるような人が増えてくれますように。


私もまだ勉強したばかりで、実践にはしっかりと反映しきれていない部分もあるから、自戒の意味も込めて、ブログに残します。

輝凛(きりん)の独り言

日々の生活や、ニュース、色々な人からの言葉、本などから、私なりに感じた事を綴っていきます。 その他、運営している別サイトへのリンク記事もあります。