人それぞれの特性

前回、「人との関わり合い」というタイトルで、「なぜ、私はこんななのか」を探って行く手がかりとして「交流分析」というアプローチでの理論の一部を書いています。


「交流分析」という言葉にあるよう、「交流」を「分析」していくのですが、その分析をするものとして、以下の物が挙げられます。

  • 構造分析・機能分析
  • やりとり分析

今回はその「構造分析・機能分析」について、書いていきます。

長いと思うので、ゆっくりお目通し頂ければ嬉しいです。

エゴグラムの活用

交流分析では、人間の自我構造・精神機能を「5つの自我状態」に分けて考えます。

自我状態というのは、思考・感情・行動パターンを包括したもので、「感情と経験の首尾一貫したパターンと、直接それに対応する一定の行動パターンを伴うもの」と定義されています。


恐らく、「交流分析」という言葉は知らなくても多くの方々が一度は聞いたことがあるかもしれない「エゴグラム」という、心理テスト。

ご存じでしょうか。

エゴグラムは、この5つの自我状態のバランスを簡易な心理テストに基づいてグラフ化したものです。

このエゴグラムを使うことで、自分や他人に性格構造・コミュニケーションパターンが客観的に認識しやすくなります。

たとえば、グループワークを行う際のグループ分けでエゴグラムを活用するとすれば、「指導力がある人」と「受け身ではあるが、作業が正確な人」を組み合わせることで、作業効率が良くなるだろうという想定が出来る、ということです。

ちなみに私のエゴグラムの結果は以下のリンクから見ることができます。

リンク先には、皆さん自身もエゴグラムに参加できるリンクがありますので、ご興味のある方はやってみて下さい。

リンク先のグラフ数値には、以下の項目があります。

  • CP:厳しさ
  • NP:優しさ
  • A :論理的
  • FC:自由奔放な心
  • AC:順応的な心

これが5つの自我構造です。


その前に。

実はこの「CP」「NP」は、根源は同じ「P」というものです。

さらに「FC」「AC」は、根源は同じ「C」というものです。

そこに「A」が加わり、「5つの自我構造」の前に、3つの自我構造が存在します。


構造分析

先ほどの3つの自我状態、「P」「A」「C」という人間が本来持っている自我と、成長に伴い生まれて来る自我。

この「P」「A」「C」とは何かを説明します。


P : Parent(ペアレント・親)

幼少期の自分を育ててくれた親から取り入れた部分。文化・地域性も含まれる。

言動や考え方の価値基準を形成する

理想道徳などを取り入れた自我エネルギーや養育や、人を思う優しさを取り入れた自我エネルギーの部分。


A : Adult(アダルト・大人)

現実を客観的に評価することを目的として、自律的に働く。

コンピューターのような部分。


C : Child(チャイルド・子ども)

本来備わっている部分で、欲求感情も含まれる。

子どもの頃遊んでいた時に感じた楽しさや、親に気に入られようとして、いい子にしようとする部分。


さらっと書いていますが、なかなか人が育って行く、人格形成がされて行く中では重要なことが沢山含まれているんですよね。


本来、人間は「C(Child・チャイルド)」の自我しか持っていません。

そこに、「P(Parent・親)」から色々取り入れたもの、親の真似から得た物が加わります。

そして、成長していくにつれて、親とは別の考えを徐々に持って行き、「A(Adult・大人)」の自我が目覚めていき、親から離れて自立をしていきます。


つまり、「C」→「P」→「A」の順番で、自我が育っていきます。


私が「これはなかなか面白いな」と思った部分。

P(Parent・親):幼少期の自分を育ててくれた親から取り入れた部分。

つまり、生みの親は大して関係がないということです。

日本にも「生みの親より育ての親」ということわざがありますよね。

ことわざとはやや意味合いが変わってきますが、人の人格形成にも、正に「生みの親より育ての親」という言葉がぴったりハマるように思います。


そして。

C(Child・チャイルド):本来備わっている部分で、欲求や感情も含まれる。

この「本来備わっている部分」として「親に気に入られようとして、いい子にしようとする」という言葉があります。


つまり。

「親に気に入られるために」、本来の自分の欲求とは違う態度を子供は示しながら生きているということです。


大人になり、育児をしていると忘れがちになってしまう人も多いのかもしれないですし、子供の頃のことをあまり覚えていないという大人もいらっしゃるとは思うのですが…。


自分たちが子供の頃にも、本当は泣きたいけども、泣くと怒られる。

怒られたくないから、怒られる前に泣くのを我慢した。


このように「本当は泣きたいんだけど」という「本当の欲求」を出せなかったことは、多かったのではないでしょうか。

「親に気に入られようとして、いい子にしようとする」で、自分ではどのような感情が生まれてきたか。

本当に些細に感じるような感情の積み重ねで、価値観でしたり、考え方、行動パターンなどの人格形成がされていくのです。

機能分析

さて。

ここでやっと、エゴグラムで使われている5つの自我構造について、説明をしていきます。

5つの自我構造は以下のとおりでしたね。

  • CP:厳しさ
  • NP:優しさ
  • A :論理的
  • FC:自由奔放な心
  • AC:順応的な心

1つずつ説明をしつつ、私の数値も出して、私なりの自己分析も書いていきます。


CP:厳しさ (Critical Parent:批判的な親)

父親のような自我状態。他者の欠点や間違いを指導しようとする。厳格さ・批判性・道徳性・指示命令の強さの特徴を持ち、融通が効きにくい。


10前後が平均。15以上で高すぎる、4以下で低いすぎる、と、されます。


■ CPが高い場合 ■

支配的・ルール重視(社会のルールに限らず、自分のルールも該当する)・批判的であり、「~ねばならない」「すべき」「~しなさい」「~してはならない」という言葉をよく使う。価値観や判断の基準が固まりすぎており、相手の立場や心情への共感性が不足しやすい。

職業的に、学校の先生や警察官など、指示をする立場にある人は点数が高くなる傾向があります。

□ CPを下げる方法 □

最後まで人の話を聞き、人を褒めるようにする。「すべき」「なければならない」という言葉を使わない。


■ CPが低い場合 ■

CPが低いとルーズになりがち、モチベーションがあがりにくくなります。


□ CPを高める方法 □

手帳などにその日の日程表や時間割を作って、守る。

毎日お金の収支の計算をすることでもCP的な心が育つと言われています。

また、批判力を高めるために、相手の話を聞き流さず、合間に自分の言葉で相手の主旨を再確認してみる。間違いや疑問に感じたことがあれば、その場で指摘するなどを行ってみる。


私の数値:14

私は疲れてきたり、気持ちに余裕がなくなると、この数値が上がってきます。

なぜそれが分かるかというと、自分がストレスを感じることが「自分のペースを乱されること」「自分の価値観を阻害されること」、つまり、自分のルールを乱されることなんですよね(つまりは、CPが高い人って支配的、つまりはワガママなんだろうと思います)。

それをされると、言葉が批判的になってきがちで、「~ねばならない」「すべき」「~しなさい」「~してはならない」のような表現が増えてくるように感じるためです。

そして実際に、エゴグラムをやってみると数値が上がっています。

エゴグラムをやらなくても、普段の口癖や、よく出てくる言葉からも、性格傾向や見えてくるように思います。


NP:優しさ (Nurturing Parent:親和的な親)

母親のような自我状態。優しさ、親切さ、他人への興味関心などの気持ち。
「共感性・保護性・愛情・援助・同情の強さ」の特徴がある。
人への興味、関心度とも言える。

18以上が高すぎるとされています。


■ NPが高い場合 ■

日本人はNPが高い傾向にあります。職業としては、看護師・保育士・介護士などが高くなる傾向があります。

NPが高い場合は献身的、面倒見が良いという特徴が出てきます。

ただし高すぎると、お節介(お世話をしている自分が満足)の傾向になっていき、都合よく使われてしまうこともあります。


□ NPを下げる方法 □

おせっかいをしたくなったら、本当にそれが必要かを考える(本当に相手がそれを求めているのかを確認する、など)。


■ NPが低い場合 ■

閉鎖的、人のことに無関心。コミュニケーションが苦痛に感じることもある。

職業としてはSEなど、エンジニアに多い。

日常生活においてコミュニケーションが求められる場面は多いため、NPが低い人の近くには面倒見のいいNPが高い人をおいて、補完し合うと良い。

NPが極端に低いと、他人の長所が見えにくくなるが、意識的にそれを探すことを続けているうちに、やがては自然に長所に目が行くようになる。


□ NPを高める方法 □

相手の良いところを見つける。批判する前に褒めたりフォローしたりする。また、動物などの世話をすることも効果的。


私の数値:18

あれ、高いな(^^;

以前やった時よりも上がってます…。うん、確かに「お節介傾向」は以前に比べて感じます。

…多分、自分が本当に必要とされているのか分からないという「不安」があるのかもしれなくて、その反応が欲しくて過度に気にかける(相手にしてみたら「踏み込まれている」と思うかもしれない)、またはどこか相手に「恩を売りたい」(つまりは自分が必要とされたい)のかもしれないし(^^;

うん、どこか「不安」があるのかもしれないなぁ…。

うん、もっと自分自身のことに集中した方が良さそうですね(^^;


A :論理的 (Adult:大人)

合理的・論理的にコンピュータのような役割を果たす。客観的に物事を見る能力。
Aの自我状態は、現実適応能力や自我状態のバランス調整に深く関わっている。
Aは現実的な損得勘定によって行動を判断したり、理性的な状況認識や倫理論に基づいて自分の態度を決定する役割を果たしている。
しかし、Aだけが極端に強くなりすぎると、感情的な人間味や共感的な温かさに欠ける機会的な冷淡さが出てきたり、人生を生き生きと楽しむ情感。感覚の豊かさが低下したり、人間関係がうまくいかないことも出てくるため、A以外の自我状態とのバランスも大切。

Aが19以上で高すぎる、6以下で低すぎると言われています。


■ Aが高い場合 ■

合理的・理性的・打算的。19以上で損得勘定が強くなる。


□ Aを下げる方法 □

あれこれ考え出したら、他の事をする。直感で物事を選ぶようにする。

人と話をする時、状況や事実も大事だが、感情を聞くようにする。感情を伝えるようにする。


■ Aが低い場合 ■

6以下で低すぎる場合、計画性のなさ、衝動性、気分の変わりやすさなどの特徴が見受けられる。考えなしになりがちで、客観性、合理性が低い。


□ Aを高める方法 □

自分の行動がどんな結果(損得)に繋がるかを予測してシミュレーションする。

家計簿や日記をつける。買い物をする時も、本当に今買おうとしているものが必要なものなのか、立ち止まって考える。


私の数値:16

ちょうどいい感じなのではないかしらん。

少しだけ高いのかもしれないですけどね。どこか冷たい印象を感じたり、理屈っぽく感じるのだとしたら、このAの自我状態が働いている時の印象かもしれません。

後から出てきますが、FCの数値が相当高い割に、どうにかなっている、周囲が過度に問題に感じてないのかもしれないのは、この部分でそれなりに補完されている可能性もありそうですね(^^;


FC:自由奔放な心 (Free Child:自由な子ども)

本能的な欲求・感情に基づいて他者に束縛されずに自由奔放に振舞おうとする自我状態。自由な行動と生き生きとした感情表現が特徴で、子ども時代には多くの人がFCによって学校生活や友人関係を楽しんでいる。生まれた時に持っている素直な感情。しかし、社会環境・人間関係に適応していくためには、自己中心的なFCをある程度抑制することが必要であり、親の躾や学校の教育、社会規範によってFCに拮抗する「AC(適応的な子ども)」が強化されていく。
  • FCはわがままで自分本位に快楽や喜びを追求する自我状態だが、人間が自然な幸福感を感じたり豊かな想像力を働かせるためには、一定以上のFCの強さが必要である。
  • 他人が自分をどう思うかということばかりが気になるACや、ガチガチの社会規範・道徳観念に自分の行動が束縛されるCPが強くなり過ぎてしまうと、FCが抑圧されて想像力や好奇心、幸福感が低下しやすくなる。


■ FCが高い場合 ■

解放的、無邪気、創造的という特徴が出てきやすい。

ただし、FCが高すぎると、所謂「浮いた存在」になりやすく、本人は良くても周囲が困惑することがある。


□ FCを下げる方法 □

AやACを高める行動をする。


■ FCが低い場合 ■

物事を楽しめない傾向になる。

自分の好きなものが分からなくなってしまうこともある。


□ FCを高める方法 □

楽しそうなことや面白そうなことに積極的に参加する。頭で考えすぎずに感覚・感情でダイレクトに感じる。

『おぉ、凄い!綺麗!楽しいな!これ、好き!あれをやりたい!』といったストレートな感情表現をする(これらは、生きていくために必要な感情とされている)。

「うわ~!」「すご~い!」とか感嘆符を意識して使う。


私の数値:20

バカなの?最高値ですよ、20って(^^;

本当、「周囲の皆さんが大人なので助かっているなー」って、ずっと前から、どこの環境であっても、相手が年下であっても思っていましたが、やっぱりそうなんですねー(爆)。数字で出ちゃってますねー(^^;

確かに今…、別に誰にどうこう言われているのではないですが、どうも世間の風潮として、佐藤愛子さんがおっしゃっていた「いまの世の中を一言で言えば『いちいちうるせえな』、これに尽きますよ」という言葉に大きく共感しているのもあってですね…。

ちょっと今、色々で疲れているというのもあって「放っておいてくれないかなぁ」「言葉をかけなくても、『見守る』という優しさ、温かさがあってもいいんじゃないの?」という気持ちもあって、「とにかく他人から干渉されたくない」「自分の素直な気持ちや感情でいたい」と、とにかく「自分はこうでありたい」がすっごく強く出ている感覚はあるんですよね。

…そりゃ、こんな数値になりますよね。

ただ、カウンセラースクールで講師に言われたこと。

当時、私ともう1名の受講者の方がいらしたのですが、私も彼女もAとFC、両方がそれなりに高かったため、講師がそれを見て「あ、だから2人ともしっかり質問してくれるんですね!実はやっている側としても、そのように自発的に質問してくれる方が助かるんですよねー」なんて、おっしゃっていました。


AC:順応的な心 (Adapted Child:適応的な子ども)

両親の躾や学校の教育に素直な態度で順応しようとする自我状態。
自分の自然な感情や本当の欲求を我慢して周囲に合わせることで、社会環境・対人関係に上手く適用しようとする。社会常識や権威的な相手(目上・上位の人)、両親の指導に対して素直に従う傾向があるので、一般的には礼儀正しくて社会適応の良い常識人と見られやすい。その一方で自分の欲求・感情を過度に抑圧して、自分自身の楽しみや生き甲斐を見失ってしまったり、ストレスを蓄積してしまうなどの問題があり、『自己評価・自尊心の低下』になることもある。


■ ACが高い場合 ■

日本人はACが高い人が多い。

妥協的・世間体を気にする・顔色を伺う・世間、他人のせいにしがちになる。


□ ACの下げ方 □

会話の中で、積極的に自分の意見を言うようにする。


■ ACが低い場合 ■

非協力的・人の話を聞かない傾向がある。


□ ACの上げ方 □

周囲のことを考えて行動する。協調性や連帯感を持って集団行動をしてみる。

自分の意見や要求を少し抑えてみる。会話は聴き役に回る。


私の数値:3

やっぱりバカなの?どう見ても低すぎるでしょ(^^;

やー、本当に「とにかく他人から干渉されたくない」「自分はこうでありたい」が強く出ていて、他人をつき放しているんでしょうね、精神的に。

表向き、それでは生活が出来ないことも分かっているので、多少は周囲のことは考えているつもりですけどもね、多少は(^^;

でも、以前は私、この数値が高かったんですよ。以前といっても、本当10年くらい前とかかと思いますが、この数値が高くて「順応性がある」というのを見て、安心した記憶がありましたから。

そしてその時の私はやっぱり「妥協的・世間体を気にする・顔色を伺う・世間、他人のせいにしがち」という性質を持っていたように思います。

でも、結局その世間や他人というのは、一個人のためには動いてくれないし、自分を押し殺してまで、そういったものを気にしたところで、大して何をしてくれるでもない。

それならば、自分を押し殺さずにいた方が自分にとっては幸せなのではないかと思うようになり、「親や世間にとって『都合がいい子』『言うことを聞く素直な子』」というのをやめようと思ったんですね。

なので、この数値が下がっているというのは、「もー、やーめた!ばかばかしい、疲れるんだよ、いい子なんて!」という、過去の人生からの反動かもしれないです(^^;

そして、FCが異常に高いので、本当に自覚できている自分の気持ちに素直に生きているんでしょうね、今。

十人十色、人それぞれ

と、エゴグラムを私のデータを使っての自己分析を、自分の復習ついでに書きました。

私は「AC低位型」と呼ばれるようです(あまり多くないようです…)。

また、自己分析部分にも少し書いていますが、同じ人間でも、この数値は変化します。

定期的にやってみて、自分の変化を見て行くのも面白いかもしれません。


また、私のように「FCが極端に高く、ACが極端に低い」場合。

それが原因だろうと思われることで、私自身がそれで何か困っていることがあれば数値の調整を行えばいいのだろうと思います。

でも特に困っていないなー、と思えば、そのままでいればいいんです。

すべての数値を平均化する必要もなければ、無理に調整をしようとしなくてもいい。


まずは現状を認識して「あ、私ってこういう感じなのね。」を理解した上で「ちょっとこれを意識して、この数値を調整しようかな」と思えたらやればいいし、「うん、ちょっとどうかなぁ、って思うけど、別に私はこれでもいいんだよねー」と思えたなら、そのままでいいんです。


どのような自分でいるのかを決めるのは自分自身。

それを忘れないで欲しいと思います。


そして、当然自分でも状態によってエゴグラムが変化する、つまりは価値観だったり考え方、感情や行動も変わって来るのですから、自分とは違うエゴグラムが出て来る他人がいるということはとても当たり前のことだと思います。


人間、誰しも自分が普通で自分が標準です。

だって、その人生しか体験していませんからね。

それ以外の体験がない以上、その人生が「普通」で「標準」です。


そしてそれは全員が同じ条件です。


つまり、自分の「普通」や「標準」は、他者から見たら「異常」で「規定外」かもしれません。


「普通」と「標準」は、全世界の人口の数だけ存在します。


確かに「似ている」人はいるでしょう、多くいるかもしれません。

でも、人格の「普通」と「標準」は多数決で決まるものでもありませんし、「正しい人格」「間違った人格」が存在するわけではありません。

それがあるとしたら、それは明確な「差別」でしかないと私は思います。


誰しも等しく、つまりは平等にどんな自分でいるかを選ぶことが出来ます。


自分にも選択権があったのですから、相手の選択権も認めて行くことが、相手を認めることで、自分も認めてもらえることになり、お互いにとって気持ちのいい交流が生まれて来る可能性を高めます。


同じ人間という種別の動物なのに、同じ人格の人が誰ひとりいない。


本当に人間として長く種が存続するのであれば、ストレスは軽くした方がいいはずで、そのストレスが自動で備わっているとは思いにくいんですよね。

ということは、自分の長所と短所、他者の長所と短所を見て行くことで、それぞれの長所を生かしながら、他者の短所を補って、協力し合いながら生きて行く。

この方法が「集団生活をしていく人間が長生きできるコツ」であり、自然でストレスが少ない生き方なのではないかと思えます。

輝凛(きりん)の独り言

日々の生活や、ニュース、色々な人からの言葉、本などから、私なりに感じた事を綴っていきます。 その他、運営している別サイトへのリンク記事もあります。