誰のことを好きになってもいいけども…
ジャニーズグループのV6メンバーが「結婚ラッシュ」だなぁ、と。
しかもお相手はすべて女優さん。
正直、先日公表された、森田剛くんと宮沢りえさんのご結婚はビックリしました。
私はV6がデビューして半年後くらいなのかなぁ?
彼らが春高バレーのイメージキャラクターだったり、EUROBEAT路線での曲が多かった頃、4年くらいファンだった時期があって、特に三宅健ちゃんが好きだったんですよね。
EUROBEATが好きだったので、それで曲から彼らのファンになったという、あまり聞かないタイプのファンだったようにも思いますが。
ファンではなくなって時間は経っても、それでも今でも連絡を取り合っている友達がいたりするのですが、彼女は剛くんが本当に大好きで、彼が初恋の人で…。
まぁ、所謂「ガチ恋」のタイプですよね。
私も今までそれなりに好きになって来たバンドだったり、いろいろありますが、「好き」という気持ちはあっても、それが「恋愛感情」のようになることというのは、ほぼ、ない。
「好きだという気持ちは分かる。
でも、相手に好意に応えてもらいたい、相手にも自分のことを好きになってもらいたいために、自分を覚えてもらいたい、知ってもらいたい、という気持ちは、私には持てない。
それでも好きになってしまったのなら仕方ないし、他に好きな人ができるかもしれないんだから、それまでは、彼のことが好きでいてもいいんじゃない?」
そういう気持ちでいたので、彼女の持つ「好き」という気持ちは否定しないし、相手が誰であれ、どんな立場であれ、自分との関係性がどうであれ、それが現実味がないものであっても、「好き」という感情を持つ事はいいことなので、それは否定しないです。
その自分の「好き」が叶わなかったら誰でも泣くだろうし、誰が何と言おうとそれは「失恋」なのだろうから、それに対しては通常の恋愛と同じよう「可哀想だな」とは思うし、友達が失恋したら「聞いたよー?失恋したんだって?大丈夫?」なんて、積極的に相手の傷に塩を塗りに行くことは、私には出来ないので…。
ぶっちゃけ、20年近い付き合いがある、彼女の精神的な弱さからして、すっごく心配は心配なんだけど、あちらから何かしらのアクションがあるまでは、そっとしておこうと思っています…(ただ、泣いているだけであって下さい、本当に…!)。
誰のことを好きになってもいいけども…
それでもね。
誰でも、どんな人のことも好きになっていいと思うんですよ。
誰を好きになろうと、個人の【自由】です。
制約はないって思います。
ただ、その【自由】を得るには、自分の持つ感情に【責任】を持つということだと思うんですよね。
自分の持つ感情に責任を持つ、というのは、「嫌いにならない」とかそういう継続性の話ではなく。
自分の思い通りになることはなくても、自分が傷つくようなことが起きたとしても、それは自分が「好きだ」という気持ちを持ったからこそ、感じるものだと認めること。
自分にも相手を【自由に】好きになる権利があるよう、相手にも、自分以外の人を【自由に】好きになる権利がある。
でも、それを認めると、望むような結果だけが出るとは限らないわけですよね。
それでも本気で相手のことを好きになるのなら、仮にそれが起きて傷ついたとしても、それは誰も悪くなく、ただ、自分が相手に対して好意を向けていたという、自分の判断と選択に【責任】を持つ、つまりは「相手から好意を求めるということは、傷つくことも覚悟しなければいけない」という、自分が傷ついても大丈夫で、それに対して相手のことを責める権利はないんだ、という責任を持つことが求められるように思うんです。
だって、自分は勝手に自分が憧れていたり、好きだなって思った有名人などに好意を持ったのに、相手が自分以外の人と恋愛関係にあったり、結婚したことで「傷ついた」なんて言われて、相手を責めるようなことって、相手の自由を認めてないですよね。
自分の自由は認めてもらいたいけど、相手の自由は認めないっていうのは、「自由」ではなくて「身勝手で支配的」なだけで、自分の感情にも責任が持てていない状態であろうな、と思えるんですよね…。
相手の「日常」を想像する
それと。
人気商売の方々は、ファンの方々からの応援で生活が成り立っています。
自分が相手に対してファンレターだったりプレゼントだったり、そういうものを渡したりしているのだとしたら、同じようなことをしているファンは他にも沢山いて、その方々の部屋っていうのは「自分以外の女性(なり男性)からの気持ちで埋め尽くされている」可能性もあって、相手はその環境が大好きかもしれない。
そして自分以外の人からのファンレターで「よっし、元気になれた!嬉しい!頑張る!」と前向きになっていくこともあるだろうし、自分以外の人からのプレゼントに狂喜乱舞することもあるかもしれない。
それをニコニコしながら無邪気に見せて来るかもしれないんですよ。
それが相手の日常であり、仕事の結果なんです。
それを想像した時に、その場所は、相手の日常は、あなたにとって「快適」で、「リラックス」できる場所ですか?
そうではないとしたら、ただ、ただ、自分が疲れてしまうだけです。
自分を傷つけながら生きることになっていきますよね…。
自分が好意を向ける有名人の恋愛だったり、結婚にショックを受ける人が、つまりは、たった1人の異性の存在すら受け止められることが出来ない人が、そんな相手の日常の中に入り込めるとは私は思えない…。
そして誰でも相手のことが好きだったら、相手のことを傷つけたくないと思うでしょう。
「この環境にこの人は馴染めないだろうな…」と思ったら、やっぱり距離は置かれるんだろうと思います、仮に好意を受けていたしても、最終的には選ばれないように思います。
恋愛こそ、損得勘定
そう思ったら。
自分と似た環境が日常になっている、同じような人気商売の人の方が、自分のことをしっかり理解してくれるし、どうでもいい嫉妬もして来ないので、気楽ですよね…。
そして、色んな意味で、仕事の環境も似ていれば、共感できるポイントも多ければ、お互いに助け合いながら生活もできる。
自分のやっている仕事が本当に好きだからこそ、その仕事に対して、自分が抱える悩みだったり、様々もひっくるめて、理解をしてくれたりする人を求めるのは、有名人でも結局は人間なので、とっても自然なことだと思うんですよ。
人間、誰でも楽をしたいんです。
人間、誰でも癒されたい。そしてまた頑張りたいし、認められたいんです。
ファンが有名人を「癒されたい」などの自分のメリットがあることで好きになるよう、有名人の方々だって、自分にメリットを与えてくれる相手のことが好きになるのは、有名人の方々だって人間である以上、当然なんだろうって思います。
自分が求めるばかりではなく、相手に対して何を与えられていて、それを相手が「あなただからこそ」、与えられて嬉しく価値があると思ってもらえているもの。
相手の価値観に響くもの、相手が心から求める、他の誰にも提供できないような、金額にも置き換えられないようなもの、他に代わりがないものを提供出来る人。
お互いに何かを与え合える人同士が、お互いを選び合うのだろうと思うんです。
恋愛感情だって、結婚の決め手だって、「自分が快適な生活を手に入れるため」という、大きいけど、それでも自分の幸せのためには絶対に必要な、ごくごく、当たり前の損得勘定が働いているんです。
自分の「得」だけ考えて、相手に「損」を与えていませんか?
相手の「得」を考えた結果、自分が「損」をすることに対して、我慢をする、貸しを作るのではなく、自分の価値観を入れ替えて、自分の意見として取り込む方法として、心からの納得と理解が出来て、自分が踏まえる「損」を「得」に変換できるよう、時には相手と力を合わせられますか?
あなたは前者の人と後者の人、どちらの人のことが好きで信用できますか?
「好きになってもらう」こということは、相手から「好かれる」ということ。
「私は相手から好かれる人柄だ」と自信を持って言えますか?
その自信がないなら、その自信が持てるよう、自分を育てる努力をしていますか?
やっぱり「好き」という感情を持つことは悪くないけども、それ以上を求めるということは、自分にも大きなハードルを架すこともあるし、どれだけ努力をしても、それが届かない、叶わないこともある。
それでも相手のことが好きでいられるのなら、意地にならないで、素直な気持ちでそう言えるなら、誰でもどんな人でも自由に好きになっていいと思うし、その自分の「好き」という感情に自信を持って、大切に育てて欲しいって思います。
本人がそれで幸せで心から納得できるのなら、それでいいんだから。
叶えることが大事ではなく「好き」というその気持ちを支えに幸せに生きることが大事なら、それでいいって思うので。
今まで分かりやすく、相手を有名人として書いてきましたが、最終的にはどんな立場の人であれ、何であれ「人間同士」の感情の話なので、相手が誰であれ、同じ話だと私は思っています。
恋愛感情と防衛機制
有名人を好きになる理由は様々、人の数だけ理由はあると思うんだけど…。
やっぱり「ガチ恋」にまでなるくらい、実際には知り合いでも何でもない、接点があるでもないような相手に強い気持ちを傾けてしまうのは、何かその人の中に、強く求める「好意」以上の、または「好意」と似た、全く別の何かがある気がします。
有名な人に自分を知ってもらう、認めてもらうことで、自分の自信のなさを埋めたい、という人もいると思う。
でも、仮に有名人と知り合ったからって、その人自身の価値が変わることもないし、生活も変わらないんだよなぁ…。
心理学でいう「防衛機制」という、自分の傷ついた心を守る、人間として当たり前の働きがあるのですが、それでいうと、上記の例は【同一視】というものに当たるのかもしれない。
自分が憧れる集団や尊敬する人物に対して、それに似ている、同じである、その集団の一員であると一時的に錯覚することで、現実には自分の力で満たせない欲求を満たすこと。
…ガチ恋じゃなくても、「繋がり」を求めてうろつくファンもいますよね…。
あと「覚えてもらいたい」と自分をアピールしているファンもいますね…。
そして「自力」と思えるようで、実は自力ではないのが、関係する職種に就いて、その世界に近づいていこう、入り込んで行く人ね…。それは「個人」の力ではなく、その会社とのビジネス上の契約という関係性で役割を果たすだけなので、それ以上のものが得られるかどうかは全く別の話だと思うんでね…。
そういう有名人とファンの世界だけじゃなくて、肩書きのある人、収入のある人、学歴だったり何かしらのステータスに対してアプローチをしていく人も同じでしょうね…。
つまり相手から自分のメリットを引き出すためのものでしかなくて、相手を自分の都合のいいようにしたい、相手の存在をアテにしているということですよね…。
それは「好意」や「応援」ではなくて、相手をアテにしている「依存心」でしかないってことだろうって思えます。
あ。ちなみにこの【同一視】というのは、コスプレをする人の心理にもあるものだそうです。変身願望にも似ているのかもしれないですね。自分ではない別の物になることで、自分という現実から離れたい。そんな気持ちが働いているとしたら、納得してしまいます…。
それと…。
「ガチ恋」くらいの強い気持ちを傾けるっていうのは、相手からの「愛情」を求めているように思えるんです。
で、何となく感じることでもあるんですが、そういう感情を向ける人たちの共通点で「親子関係が微妙」「親子関係は微妙じゃなくても、親同士の夫婦仲が微妙」という、何かしら、家族関係にネガティブなものを持っている(それが子供時代に起きたことであっても、その時のネガティブな感情を乗り越えられていない状態の人も含む)人が多いように思うんです。
子供っていうのは、親に対して無条件の愛情を求めているし、生きて行くためには「構ってもらう」ことが絶対に必要です。
親からの愛情を得るために、親に対して肯定的だし、「大好きー!」という感情を向けて行くんですよね、たとえその親が自分を虐待するような親であったとしても…。
そして健全な親、望ましい環境であれば、親は子供に対して無条件に愛情を注ぐことが可能で、それが何よりの栄養だからこそ、子供はそれが欲しくて親を肯定するんですよね…。親を愛している、思いやっているのではなく、自分に対する愛情を引き出したいという本能が起こしていることなんですよね、子供の行動っていうのは。
だからこそ、その親が与えてくれなかった、または与えてくれていたけど、物足りないと思っている愛情を求めて、自分が親に対して向けていた「大好きー!」を感じる相手に、親代わりのような気持ちで「私のことも好きになって!」と気持ちを向けてしまう人はとっても多いと思うんですよね。
上記の例は【置き換え】というものに当たるのかもしれない。
本来の目的が獲得されにくい時、その代わりの満足を与えてくれそうな方向に向かうこと。
そしてなぜ子供が親からの愛情を求めるのかというと、愛情というものは、人間の心を健全に育てるんですよね。精神的な成長に「愛情」というもの、それは親基準で与えるものではなくて、子供が求めるものという基準で測定されなきゃ、子供にとって「愛情」にはならないんですが…。
その愛情が足りていないと、心が育っていないので、精神的に未熟なまま、大人になっていくことになるんですよね(※精神的な未熟さは、本人だけの責任ではないのですよ。そして年齢と共に勝手に育つものでもない。それが出来た人は、親が与えてくれたり周囲が与えてくれた愛情に納得が出来ているか、どこかで愛情はもらえないんだと、割り切れた人です)。
そうなると…、その防衛機制というのが、より未熟な状態(乳幼児期の状態)で出て来ることもあります。また、あまりにも疲れすぎていたりで、判断が弱くなると、心も弱って、気持ちが退行していき、「甘えたい」「欲求を満たしたい」という気持ちが強くなり、それが許される時期の乳幼児期のような心理状態に誰でも戻ってしまうこともあるんですよね…。
その中に【分裂】というものがあり、「優しいお母さんは好きだけど、怒るお母さんは嫌い」と、自分に都合の悪いことは「嫌い」と排除してしまう。
「自分のことを好いてくれるのは嬉しいけど、他の人のことを好きになるのはイヤだ」
ガチ恋勢…、こういう傾向があるんじゃないかなって思えるんですが…。
それがすでに恋人になっている相手や、すでに近い関係になっているような相手に向けての感情だったら「独占欲」になるのだろうけど、そうじゃない相手だと、精神的な部分での未熟さを感じてしまう、というか…。
それと【取り入れ】というものがあり、これは「相手と同化して、自分のものとする」という、ちょっと伝わりにくい表現ですが、「自分が相手のことが好きなら、相手も自分のことが同じくらい好きなんだ!」と思い込み、客観的には個体として別の対象であるものが、主観においては、自己の一部になってしまい、自己と対象の区別が曖昧になること。
まぁ、たまに聞く、自分が好きな対象のことについて「私はあの人のこと、よく分かっているから」とか「知っているんで」とか、そのように思い込むことも、この「取り入れ」が起きている可能性はあるのだろうなぁって思うんです。
や、分からないでしょ、他人のことなんて。
一緒に生活している親や、一緒に育った兄弟姉妹のことも十分に分からないのに、血縁関係があっても、同じ環境で過ごしていたとしても、理解できない人がすっごい近くにいるのに、それ以下の接点しかない他人のことなんて、分かるかよ。
相手にしてみれば「私、あなたのことなら分かっていますから」って決めつけられて、ああだこうだ言われたり、何か言われなくても、そういう思い込み、理想像で見られて、それとは違うこと、自分が期待していることと違うことが起きた時に「そんな人だと思わなかった」と言われたら、相手にしてみたら「言いがかり」でしかないし、そういう相手に対して「自分を理解してくれている」という気持ちは持ちにくいでしょうね…。
そして、ここで出て来た「理想像」。
これにも【原始的理想化】という、乳幼児期の状態の心理があってですね…。
対象を自分の欲求や感情を全て満たしてくれる存在と見なす
わー、すごいなー、これ、赤ちゃんや子供だから「可愛いワガママ」で許されるけど、大人がそれを相手に向けたら身勝手でしかない…。
これ、もっと詳細な解説は複雑なのですが、まぁ「自分にとって相手は常に私を気持ちよくさせてくれる存在じゃないと意味がない」という気持ちを向けているっていうことですね…。
そして、お母さん、親というものがいないと、赤ちゃんって生きていけないんで、子供の頃は兄弟姉妹ですらライバルですよね、「お母さんが取られちゃう!」と。
そりゃね…、ジャニーズファン同士が(精神的に未成熟なファンが多いですよね、ファン層の年齢的に当たり前なんだけど)「同担禁止」になるわ。
(担当(自分が好きなタレントのファンのこと)が同じ人とは友達になれないです、という意思表示が「同担禁止」と言われていますが…)
妙に納得しました。
が、心の中では同担禁止でも「嫌われたくない」とか「自分に自信がない」という自覚がある子は「私なんて…」があるから、同担禁止という行動にはならないんでしょうね…、きっと。
その…、恋愛感情だと思っていた「好き」というものは、実は親から得られなかった愛情を、自分が「好き」だと感じている相手に向けてしまっているとしたら…。
親へ恋愛感情って持たないですよね、愛情は持てても。
もしかしたらその、強すぎる「好き」だという気持ちは、「依存心」なのかもしれない。
自分を傷つけないでいてくれる、保護者のような役割を、自分が好きで憧れている相手に向けているのかもしれない。
それはきっと、自分のことを愛してくれる人を探しているだけで、相手のことが好きということではなく、自分が好きだと思った人に好いてもらうことで、自分を癒したい。そして相手には何も与えることはない(プレゼントとか手紙とか、誰にでも出来るものではなくて、自分だからこそ、相手に与えられて、相手がそれを喜んでくれるもの。相手に与えられているものと、同等、またはそれ以上のものを、与えられていないということ)。
結局、自分のメリットだけを求めているだけなのだろうなって思えます。
恋愛関係も、極端にいえば、人間関係のすべては、その価値観と大きさに差分はあれど、最低限の損得勘定、与え合いで成り立っていて、その与え合いが成立することが信頼関係になり、その信頼関係が構築されて、特別感が出て来ることが、恋愛感情だったり、結婚などへと繋がって行くように、私は思いますよ。
不快感の正体…?
で…。
まぁ、正直に言ってしまえば、そりゃ、上記に書いたような【同一視】のような気持ちで近づいているようなファンだったり、ガチ恋傾向を感じるようなファンだったり、そういう人たちに私は一方的に敵対視されることがたまにあるんですが…。
で、私は私で、特に繋がりは求めていない。
というか、ちょっとしたご縁で音楽の世界のお手伝いを少しだけしたことがあるんだけど(期間は少しだけど(でもそのポジションにしては長い方だと言われたけど)、内容は深かったのかもしれない…)、まー、普通にしんどいよね(苦笑)。「いいこと1割、イヤなこと9割」だったかなって。でもどこの世界でも、普通の企業でもそんなものだと思う…、いや、普通の企業の方がまだ楽ちんだし、特に特別な世界でも何でもないって私は思っていますが…。
まぁ、「得たくても得られない」人にしてみれば、こういう経験も妬みになるのかもしれないけど、それはもう言われてもどうしようもないし、私のその過去の経験は犯罪ではないので、咎められる筋合いもないですからね…。
そして「ガチ恋」っていうのも、ないんだよなぁ…。
「好き」という気持ちはありますよ。
特に今は、DIR EN GREYの薫さんのことは、すっごい好きだけど、ただ本当に好きなだけ。
その私の気持ちに応えてもらいたいとは思ってないし、ファンレターを書いたりは、結構マメにするんだけど、最終的に誰かの何かの感情に応えるも応えないも、そしてどう応えるのか、それをどう表現するのかは、相手が決めることで、そこに私は介入できない。
勝手に好きでいさせて欲しい。
んで、薫さんがいいギターを弾いてくれて、これからも力強く生きてDIR EN GREYとしてずっと活動をしてくれるのなら、それを支える存在の奥さんなり恋人が「いてくれ!」って思うくらいなので、むしろ「いない」方が不安だわ…。
そして、人気商売なんだし、多くの人の「応援」「好意」が形になった手紙だったりプレゼントだったりは、絶対に嬉しいに決まっているし、それが「誰から」のものであっても、等しく嬉しいと思うんですよね。何となく「物」や「人」ではなく、「相手からの気持ち」だけで見ている人だと思うので…。
その気持ちを支えに音楽をしているのだろうから、他のファンに嫉妬した時点で、彼に届く応援の気持ちを否定しているってことになるし、彼の楽しみや喜び、励みを奪うことにもなるのだろうなーって思ったら、嫉妬するってこと自体も私にはちょっと理解できない…。
てな、どこか、心に余裕があるように見える、自信があるように見えることが、そうではない人から嫉妬されるのだろうか…。
知らんがな…。そちらの心理状態にまで、私は責任を持てないですよ…。
でもまぁ、リアルな近い立場の人に「あの人カッコいい!」という現実味を求めるよりも、近づけるリアルさがない相手の方が、結ばれる可能性が低いって分かっている。
だからこそ、自分が選ばれなくても強がっていられるし、諦めもつきやすい、失恋するのは当たり前だけど、それでも「あわよくば」って思っているのだとしたら…。
「関わらないことで、過度に傷つかないで済む。失恋しても傷が浅くて済む。」という、徹底的に「傷つくことを恐れる」結果、遠い存在に気持ちを傾けているのだとしたら、その人は相当、心が傷ついているように思えて、恐らく自己回復をするにも、傷を受け止める力が弱い気がするので、カウンセリングなりの治療で、他人の力で癒された方がいいようにも思えてしまいます…。
で、私も頭が悪いので、そういう感情を向けて来る人に対して、スルーが出来ない時があって(苦笑)。
何でだろう、って思って、今、これを書きながら思いました。
私は、自分を大切に出来ない人が嫌いです。
そして、無意識でも、他人をどこか軽んじることをしている人が嫌いです。
自分で自分を傷つけるようなことを、無意識にやっている結果、いつも不満や不安に縛られ、愚痴だったり泣き事、悲観が多くて、いつまで経ってもそこから抜け出そうとしない、努力をしないのに、他人に対してネガティブな気持ちを向けたり、自分を責めたり…。
もう、いい大人なはずでね。
誰かに面倒を見てもらおうと思わなくても、そしてそれをしてもらえなかった自分を不憫に思うからって、自分の面倒を見る前に、他人の面倒を見てしまい、そんな相手が思い通りにならないからってイライラしたり、その挙げ句、手が届かない世界、人物に手を伸ばそうとして、それも叶わなくて傷ついたり…。
そんな、いつまで経っても自分を傷つけることしかしない人たちから感じる雰囲気に対して
「バカじゃねーの?」
「いつまで子供でいようと思っているの?甘えてんなよ。」
「他人の面倒を見ることで、自分の傷を癒そうとするな。他人は他人でしっかり考えられるんだよ。相手をバカにするな。相手は道具じゃないんだ。」
って、大きなお世話ながらに思っている、んだなって。
というか、嫌いなんだな、そういう人がやっぱり(苦笑)。
多分その、スルー出来ないっていうのは、どこか私も大きなお世話な側面があることと、どこか「自分と他人、両者の痛みに敏感」という感覚があるのと、「痛い」ってツライじゃない?それをスルーしたらいけないのかな、って思ってしまうのかもしれない。
でも、私が感覚的に気づいている「傷」に、本人たちは無自覚なので、私が相手にガチで働きかけると、相手に「傷を認識させる」ことになる。
むしろ「痛みを与える」ように相手には感じられるので、一部の人には「何だこいつ。人の気持ちも知らないで!」と強く嫌われ、一部の人には「厳しいけど優しい」「本当の意味で癒される」って言われるんだろうな、ていう、自己分析。
何となく、そう思いました。
が、本当に多いんだよなぁ、実は「繋がりたい」気持ちがあるだろうなっていう人と、何だかんだ言って「ガチ恋」だろうなっていう人…。
まぁ、心に傷を持っていない人の方が異常なので、そういう「繋がりたい」「愛されたい」を遠い世界に求めてしまうのは、その人の人生のプラスになるとはあまり思えないけども、その遠回りに気づけたら、人生は方向転換をしていき、明るくなっていく可能性があるようには思うから、決して無駄だったり無意味な感情だとは思わないし、その人にとっては「自分を守るため」に必要なものだったのだから、それを持つことは自然です。おかしなことじゃないです。
ただ、私は好きじゃないけどね、っていうだけです、はい。ごめんなさい!
(私だって人間だから、一方的などうしようもない妬みを向けて来る相手なんて、好きになれませんからね…)
「傷」という財産
私も親からの愛情不足で育っているし、今も突然の介護生活に翻弄されているので、「本当、何だかなー…」な毎日です。
「それでもこれだけ頑張れている私、すごいと思うの」とか、自分で自分を癒し、褒めて、「私が無理して倒れたら、全員が困る!だからやって!そして今まで通り遊ぶからね!」と、母親が出来ることはしてもらうし、遠慮なく外出もする。
自分で自分に足りないものに気づけば、それを自分で満たすことが出来ます。
そして、足りないものに気づくと同時に、受け取っていたのに気づけないまま、感謝できないままでいた、とっても大切なものに気づくこともとっても多い。
あるカウンセラーさんに言われました。
「心が曇っている時ほど、カスほど輝いて見える。選択を簡単に間違える」と。
その「心の曇り」というのは「心が傷ついている状態」を指すのだろうな、と、時間が経過して、自分が癒されて、物の見え方、感じ方が出来るようになり、思い込みというものの修正が出来るようになってきて、そう感じられるようになりました。
外から愛情を求めなくても、それを遠い存在に求めた結果、過度に傷つかなくても、しっかりと、自分の心と向き合って、しっかり整理をしていくことで、あなたはすべてを持っているものがあることに気づけるし、本当に求めている物が何かが分かるはずです。
正しい道を歩き、求めれば、必ず得られる。
これは誰しも平等に与えられたチャンスだと私は信じています。
答えは自分だけが知っています。
自分をしっかり知って、痛みと向き合っていく強さは、何にも変えられない、その人自身を守る、保護してくれる「心の盾」になるはずです。
痛みは認識するだけ、「傷ついているんだな」と認識するだけで十分です。乗り越えなくてもいい。傷や弱さを誤魔化さないでいることが、何よりの強さと癒しに繋がって行くと思うので。
私の友達にも何人かいるんですよね。
優秀な社員さんに失恋して傷ついたけど、自分と向き合ってみたことで…
「あれ?私は自分の自信のなさを埋めたくて、彼の優秀さに惹かれていただけ?彼の人格なんて、見ていなかった?あれ?私…、彼のこと、好きじゃないかもしれない…。再アタックを考えていたけど、彼のことが好きじゃないって気づいた以上、私は本当に好きになれる人を見つけたい」
それと、一時期一緒にライブに行っていて、遠征も一緒に行っていた友達。
今は3児のママで、結婚してもライブには来ていたけど、遠征は控えるようになり、出産して「育児が落ち着いたらまた一緒にライブ行こうね!」と言っていたけど…。
あるツアーの時に、グッズを買って、「よかったら」と送ったんですよね。
そうしたら…
「すごく嬉しい!久しぶりにメンバーの姿を見た気がする!でもね…、またライブに行こうとか、曲が聴きたいって思わなくなっちゃった。あれだけ熱心だった、大好きだった気持ちは何だったの?って思うくらい。どうでもよくなったんじゃない、嫌いになったんじゃないけどね…。」
彼女も家庭環境が複雑だったしね…。
彼女はガチ恋でも、繋がりが欲しいような子でもなかった、結構現実的な彼女でも、その強すぎた「好き」は、一種の依存心だったのかもしれないなーって思って、納得しちゃったのと同時に…。
結婚したご主人のお母様に、自分の娘のように可愛がってもらえて、大切にしてもらえていると聞いていました。
お子さんにも恵まれて、きっと本物の優しい、温かい愛情が手に入ったからこそ、好きだった(はずの)バンドの存在がなくても、そこに頼らなくても生きていけるようになって、本当の意味で幸せになれたんだろうなって思えたら、私は嬉しくなりましたね(^^)
本当に…、「好き」という感情は厄介で面倒だけど、だからこそ、面白いんだろうと思うんですけどね。
あ。
最後の最後になって、こんなところに書いてどうするっていうメッセージ。
森田剛くん、ご結婚おめでとうございます。
FCから届いたカードの締めの言葉。
「これからもどうかよろしくお願いいたします」というもの。
人の痛みが分かって、優しいところがあるのが剛くんなのかなーって思っていたんで「どうか」という言葉に、ファンに対する謝罪と、結婚という選択を許して欲しい気持ちを感じましたが、あなたは一切悪いことはしていないのだから、堂々としていて下さい。
初婚なのに、連れ子がいる大女優さんとご結婚されるなんて、なかなか出来ることではないと私は思っています。
むしろ、結婚生活を充実させてもっとカッコよくなって「結婚したからこそ、カッコよくなった。私もいい男を見つけて楽しく暮らしてやる」くらい、ファンに思わせるくらいになって欲しいと思っています(^^)
どうぞ、お幸せに。
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