「祈る」ということ

本日、ツイッターのタイムラインで見かけた言葉。

私も「祈る」ということは無意味だとは思いません。

なぜ、そう思うのか。

祈りというのは、願いが叶うことを強く望むことだと思うんですね。

そして、その強い願い、祈りがあることで、自分に出来ること、やるべきことが見えてくると思うんです。

そしてそれに向かって行動を起こすことで、願いが叶い、祈りが通じるのだと思うんですよ。

つまり。

祈るほどの強い気持ちを持って、自分の心から求めるものを実現するために行動していかないと、望むような人生にも、環境にもならないように思うんです。

祈りがスタートにあってこそ、願いが叶い、自分も幸せを充実を感じられる。

たとえば、2016年4月に起きた熊本・九州地方の大震災についても「どうか1人でも多くの人の命が救われますように」と、被災地以外に住む多くの人が祈ることで、「寄付をしよう」「物資を送ろう」「政府や自治体に呼び掛けよう」「ボランティアの詳細が出たら、自分は現地に行こう」など、自分が出来ることが見つかっていくように。

合格祈願だって、神社に行ってお参りして、御守りを買ったりなどして、「よし!合格祈願もしたし、あとは精一杯、後悔のないように頑張るぞ!」と、合格したい気持ちがあるからこそ、自発的に勉強していれば、まぁ、必ずしもとは言えないけども、受かる確率はかなり上がりますよね。

祈りというのは、自分との約束でもあり、理想の自分を、理想の世界を目指す目標だと思えるんですよ。


「祈る」の語源

そこで、「祈る」というのは、どのような語源があるのか、調べてみました。

祈るとは、神仏にお願い事や感謝の言葉を述べるという意味。語源は、「神聖な言葉を発する」という意味の「ノル(宣る、告る)」に、「神聖なもの」という意味の「イ」を付けた言葉だといわれる。

こんなことが書いてありました。

他のサイトからの言葉を補足すると…。

口に出して、言葉の形で神に幸いを願うことを「宣る」と言います。
心の中で請い願うことではなく、それを口に出して願うことを意味します。


なるほど。

私は自分が最初に心の中で湧き出た感情と、それに伴う言葉や行動に従う、つまりは直感に従うのが一番だと思うことが多いです。

そしてそれを頼りに行動すると、思うようになることが多い。

そして、心から強く願うことが叶った経験もあるため、神様というのは、自分の直感であり、無意識に自分が求めているものを知っている、つまりは「潜在意識」と呼ばれるものが、神様の正体だと思っています。

そしてそれを言葉に出すこと(恐らく、紙に書きだしたり、ブログやSNSにアップしてもいいのかもしれませんが)は、その心の中にある願いを、改めて耳や目からインプットして、潜在意識(無意識)を顕在意識(認識できる意識)に変換させて、方向付けをするものなのだろうと思えます。

「願い事を口に出せば叶いやすくなる」というのは、やっぱり本当なのだろうと思います。


「祈る」ことの有用性

あくまでも私の持論ですので、最終的にどのように捉えるかはご本人の判断にお任せしますし、その判断はご自身で選んだ内容ですので、私は一切の責任を持ちませんが…。


「祈ること」を信じることが出来、その有用性が理解できて、祈りに対して無力感を覚えない人。

それは自分の直感に従えて、その自分の気持ちと行動、その行動から出た結果に対しても責任が持てる、自己信頼が高い人なのだろうと思えます。

祈りをささげる先は神様。

その神様の正体は自分の潜在意識なのだとしたら、「祈る」ということは、「自分自身との約束」に他ならないと思えるのです。

つまり、「祈ること」の有用性を信じられる人は、自分に対して自信がある人。

自信というのは、実績に基づく評価ではなく「自分自身の気持ちや行動、それに対して出た結果に対して責任を伴った肯定的に受け止めることが出来る」ことだと思っています。

つまり、自分の行動や判断に責任を持ち、求める結果に対してブレずに進めることが出来る人ほど「祈ること」に対して疑問に思わないのではないかしら?なんて思ってしまいます。

そして、他人のために祈ることは、ハッキリいって、自分のことを祈ることの「ついで」でいいと思います。

たとえば、2016年4月に起きた熊本・九州地方の大震災についても「どうか1人でも多くの人の命が救われますように」と祈る理由として、「もし、自分がその立場にいたら、せめて自分の無事を祈ってくれる人がいてくれたら嬉しいから」というだけでもいいと思うんですよ。

相手の立場になるというよりも、相手の気持ちになる、相手と同じ目線に立ち、同じ風景を見た時、自分なら他人が祈ってくれることに対して、どんな感情になるのか。

それが「嬉しい」と思うのなら、自分から先に、他人に対して祈ればいい。

本当にただ、それだけだと思います。


「他人のため」なんて、キレイ事です。

所詮は全部「自分のため」ですが、その「自分のついでに」だったり、「自分が求めることを相手に与える」だったりで十分かと思います。

それが「助け合い」の本質でしかない。

そして「祈る」だけでも、十分な助け合い、精神的な励みにはなって届くはずです。

私はそう感じています。



輝凛(きりん)の独り言

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