大切なのは気持ちだけ
絶対に今年、今月は私にとって大きな月になりそうです。
ブログ違い、音楽ブログもあるので、そっちに書けばいいのだけども、あえてこちらに。
もう何年?17年くらい?好きで応援しているバンド、DIR EN GREYのツアーがあります。
私が彼らを好きになったきっかけのアルバム「MACABRE」(2000年発売)をメインにしたものです。
2016年6月から今までリリースされたアルバム、それぞれをメインにしたショートツアーを繰り返していて、こちらもそれだけが生活ではないため、金銭的にショートしそうなんですけども…、音楽関係は彼ら以外はすべて「保留」と割り切り、どうにか頑張って可能な限りの最大限で各ショートツアーでのライブには行っています。
その各アルバムのショートツアーの開催が発表されてから、1番楽しみにしていたのが「MACABRE」なので、今月は平日は仕事、土日は地方も含めてライブという予定です。
色んな意味で倒れませんように、私が。
私のことをそれなりにご存じな方なら、彼らというか特定のメンバーへの「好き」具合が異常なのはご存じだと思うので…。が、その話がしたいのではないので、ここでは触れません。
そして、2013年に曲名としての「MACABRE」が再構築されました。
この曲、本当に凄すぎて彼らの曲の中で不動のNo.1で大好きな曲です。
この中の歌詩に、実はリリース当時から、そして自分の人生の中で、折に触れてずっと気になっている歌詩があります。
物陰に隠れている
貴方も出ておいで
大切なのは気持ちだけ
そうでしょ?
これ…、何に対しても言えることに感じるんですよ。
そして「本当にそうだよなぁ…」って、何度も思うんですよね…。
大切なのは気持ちだけ
ここからが本題です。
私がツイッターやFacebookで、度々シェアさせて頂いている、フリーライターの今一生さんの、『新編 日本一醜い親への手紙』(仮題)という本の出版プロジェクトがあります。
以前、私も応援ブログを書かせて頂きました。
そのブログがこちら。
そして、この本は制作資金を「先行購入」および「クラウドファウンディング」で集めています。
こちらの本は、虐待を受けて育った方から、虐待をした親への手紙を募り、虐待を受けた当事者の声を聞いていくことで、その実態を知り、児童虐待をなくしていこうという目的で制作されます。
今さんが制作資金集めに非常に苦慮していた中、とても感動的な「奇跡」が起きました。
とある有志の方々が「児童虐待防止には、絶対にこの本が必要だ」と、個人のお金を集めて、合計100万円を手渡しで、今さんに寄付されたそうです。
ぜひ、こちらのブログをご覧下さい。
本当に、この記事を読んだ時に…。
私が大好きな曲、「MACABRE」の歌詩、「大切なのは気持ちだけ そうでしょ?」という言葉が浮かびました。
結局は…、どうしても、本を制作するとなると、費用がかかります。
そして、寄稿された方々や、それを選ぶ方々などなど、人が動くということは、その方々が動いた時間の生活を保障する必要がありますから、当然人件費もかかります。
どうしても、お金がかかることですが、本当に必要なのは「お金」ではなく、まずは「気持ち」なんだと思えたんです。
その「気持ち」を可能な限り「お金」にする、「気持ち」を「お金」に変換することが、物事を進めるためには一番効果的なんですよね。
どうしても、「先行購入」「寄付」というと、「お金」という印象が出てしまうかもしれないですけど、本当に大事なのは、「お金」ではなくて、「気持ち」なんですよね。
世の中、確かにお金で物事を動かすことは出来ます。
でも、本当に物事を動かすことが出来る、何よりも大切なものは「気持ち」。
実はとっても当たり前なことを、いろんな人が忘れてしまっているのではないかな?と感じました。
痛み、タブーをテーマにしたPV
そして再びのDIR EN GREY。
彼らは「痛み」をテーマに音楽を展開しています。
そしてPVがとにかく過激…、というか、多分これ、「裏社会」というか、現実としてどこかで起きていてもおかしくない世界を取り上げているに過ぎないと私は感じています。
ただ、私自身が映像などで「痛み」を連想させるもの、不意に出る大きな音や不安を感じる音がすっごく苦手なんですよね…(^^;
サスペンスドラマも見られないくらいです…。
なので、彼らのPVを見る時には相当な覚悟を決めて見るので、ほとんどのPVは見ても1~2回…。
多分、一番分かりやすいのが、これかな…。
虐待をテーマにして作られたPV
「Revelation of mankind」(アルバム「ARCHE」(2014年)収録)
作り物だと分かっていても、直視できなくて、最初に見た時には心臓がバクバクしてしまい、なかなか落ち着きませんでした…。
そしてこの曲がライブでプレイされると、バックドロップに流れるので…、もう、この曲の時は絶対にバックドロップ見られないですね…。
それでもやっぱり、最初に見た時には「男性の介入はないとしても、家庭の状況はどこでも起きていてもおかしくない…」と感じて、「本来なら現実を振り返るものとして直視して、考えなきゃいけないことなんだよね…」とも思ったんですよね…。
決して作り物の世界、フィクションとは言い切れない側面を感じた作品でもありました。
そして、この男性。
「Revelation of mankind」が3本目の出演で、その前が「鼓動」(アルバム「Withering to death.」(2005年)収録)。
こちらは、レイプされた家族の死をテーマにしたPV。
ボーカルの京くんのシャウトがとても切なく聴こえて来るような内容に感じています…。
そして最初の出演が「朔-Saku-」(アルバム「Withering to death.」(2005年)収録)。
家庭内での少年犯罪をテーマにしたPVです。
この「朔-Saku-」は、日本では「放送禁止」扱いになったはず…。
これを見た時にも…、「これ、起きていてもおかしくない。子供なりの生存方法としては、止むをえなかったことだってあるだろうな…」と思えたんですよね…。
さらに、「朔-Saku-」はPV集「AVERAGE FURY」発売(メジャーレコードでの流通)の際には内容を一部制限。
ノーカットバージョンはフリーウィルからインディーズ流通で直接発売されたPV集「AVERAGE PSYCHO」で見ることが出来るのですが…。
しかし、海外では全く別の反応がありました。
2006年11月に大手音楽専門チャンネルMTVの人気番組「ヘッドバンガーズ・ボール」で、2005年に新設された視聴者が選定するPV音楽賞(HEADBANGERS BALL PV 2006)に、この「朔-saku-」のビデオクリップが日本のロックバンドの作品として初めてノミネートされ、見事グランプリを獲得したのです。
この様子を見ても、同じPVなのに、「家庭内で起きた事」を「タブー」としてしまう日本社会、視聴者が選定するPV音楽賞でグランプリを獲得するアメリカと、この乖離は大きいと思いませんか…?
家族以外に対する暴力、犯罪は、どーでもいい内容でもワイドショーのように連日報道され、家族内の痛ましい出来事はタブーとされ、表沙汰にならない。
同じ「人間」が痛みを受け、苦しんでいる。最悪の場合、死にもいたる。
このような事実が隠ぺいされ、この「朔-saku-」が「HEADBANGERS BALL PV 2006」にてグランプリを獲得して10年経っても、何の進展もない現状が今の日本でもあると言えるように感じます。
日本一醜い親への手紙
今さんの出版プロジェクト、『新編 日本一醜い親への手紙』(仮題)は、1997年に発売された『日本一醜い親への手紙』の新刊の位置づけです。
10年どころか、20年経っても、いえ、それ以上前から児童虐待、家庭内での犯罪はタブーとされ、表に出て来ない状態だということです。
その、20年前に出版された『日本一醜い親への手紙』に掲載された内容の一部をご覧頂くことが出来ます。
こちらの動画をご覧下さい。
本当に、このような経験を子供の頃に受けて育ってしまった人に対して「家庭内のことだったのだから、仕方ない」と言えるでしょうか…。
確かに経験もない、聞いたこともない話であれば、嘘みたいな話に聞こえるかもしれませんが、これは「現実」として起きています。
そして、「家庭内の事情はタブー」とされていれば、当然表に出ることはありません。
このように、家族のバランスが崩れてしまっている家族を「機能不全家族」というのですが(アダルトチルドレンが育ちやすい環境と言われている家庭です)、この機能不全家族には暗黙のルールがあります。
【話すな】
家のことや心配事を外に漏らすな。問題について話し合うのは良くないことだ。
【感じるな】
自分の感情を素直に表すのは良くないことだ。
【信頼するな】
人を信じてもロクなことはない
そして、このようなルールで育った子供は
- 自分を大切にするのは良くないことだ
- リラックスしてはいけない
- 波風を立てるな
- 余計なことを言うな
ということを学んでしまい、成長し、大人になっても、自分が何者なのかが分からなくなってしまう、自分のことを考えると空虚感を感じてしまう傾向が出てきます。
中には「自分が好きな物が分からない」という感覚になっている方もいます。
…これが、本当に幸せな生き方でしょうか?
本当にこのような世界が、幸せで豊かな社会といえるのでしょうか…。
私はとっても疑問です。
私自身の経験
私は、身体的、性的な虐待は受けていませんが、両親の不仲や借金など、様々な大人の事情に巻き込まれて育っているため、やはり「機能不全家族」で育ったアダルトチルドレンだという自覚があります。つまりは心理的には虐待されていた可能性がある、ということです。
私は幸いなことに…なのか、不幸にもなのか、親が不仲になる前、物心ついた頃から、とても積極的で人懐っこくて活発、好奇心旺盛で何でも知りたがり、そして自分の意見を物おじせずに誰にでも言える子供でした。
どれだけ訴えても、親の状態は戻りません。
物おじしない子。何でも「分かるまで」「納得するまで」知りたがる子。
どうにか解決しようと、子供なりに頑張るのですが、その声は届きません。
頑張れば頑張るほど、傷つく…。
子供にとっては悲劇です。
何が起きた時だか忘れたのですが、父親が激怒をして物に当たり、弟と抱き合って2人で大泣きをしながら「ごめんなさい、ごめんなさい」と何度も泣きながら謝っていたことを覚えています。
多分私が小学校3年生か4年生。弟は2歳年下です。
いつの頃か、何か失敗をしたり、親が感情的になって怒鳴っただけであっても、「何か悪いことが起きるのは、全部私が悪いんだ」と思いながら、「失敗しないように」「心配させないように」と、周囲にビクビクしながら生きるようになった感覚があります。
そして、母が借金返済のために昼夜働いていたので、弟の面倒をみなければいけません。
家事も手伝わないといけない。
「お母さんはお父さんのせいで、大変なんだから、お母さんを助けなきゃ!」と、とにかく頑張る子でした。
「お母さんを困らせるのはいけないことだ」と感じて育ったため、反抗期らしい反抗期もありませんでした。
でも…、やっぱり、どこか感情を抑圧して育ったので、その限界が来たのでしょうね。
30代前半に精神的疾患を発症し、通院をしていました。
その後、様々なきっかけを感じることがあり、カウンセリングを受けました。
通院よりもカウンセリングの効果は短期間で短く済み、この感覚を多くの人に知って欲しい、自分でも自分の面倒が見れるようになりたいと強く思うようになりました。
そして、人との距離感を掴むためのコミュニケーションセミナーに通ったり、心理学の学習やカウンセラースクールへの通学などを経て、ある程度自分で自分の面倒は見れるようになってきました。
私は本来持っている性質でもあった、子供の頃に「戻った」感覚で、今を生きています。
今がとっても楽しい。人生をやり直している気分です。
金銭的には正直厳しいんですよ、カウンセリングって高額なので、その支払いが山のように残っているし、私の一番の癒しでもあり、心の支えにもなっている好きなバンドのツアーはやたらあるし(苦笑)。そして勉強にもお金はかかるんですよ、えぇ…(苦笑)。
以前の私であれば、絶対に絶望していたような経済状態なのですが、物事の捉え方や感覚が変わるだけで、親から与えられた価値観を塗りかえることで、こんなにも幸せな感覚を掴めるなんて、本当にビックリです。
が、何で親の与えた環境で苦しんで、子供の頃もお金で苦しんで、今、親が見てくれなかった面倒を見るために自分でお金を払っているのに、親から経済的なことなども含めて、いろいろ口出しされるんだよ、と思うと、本当に不満しかないですね…。
が、もうお互いに大人ですから、親には直接言ってます。
「こういう風に思ってました。『いい子』だと思っていたかもしれないけど、ずっと我慢してきたので、もう我慢しません!」
というのを、もっと激しい言葉で(苦笑)。
「きっかけ」を与えてください
私のように、子供の頃の性質がどこか残っていて、自発的に動ける人や、親に文句が言えるまでになっている人はいいと思うんです。
やー、本当に気が強くて、物おじしない素質で生まれて来て良かったわー(笑)。
でも、やっぱり…、「機能不全家族」のルールで生きて育った人の多くには「言えない」「言ってはいけない」と思い込み、一歩、歩きだす勇気がないのだと思うのです。
私だってそう思い込んでいたんだから…。
私と同じ境遇の人がいる。
言っていいんだ。
外に出していいんだ。
私も言いたい。
助けて欲しい、力を貸して欲しい。
そのように当事者が思えることも大切です。
同時に、このような実態があることを知り、彼らが自立して生きて行くために必要なことを、それぞれが考えて行く必要もあると思うのです。
ここでもやっぱり、思うんですよね…。
大好きなDIR EN GREYの「MACABRE」の歌詩。
物陰に隠れている貴方も出ておいで
大切なのは気持ちだけ
そうでしょ?
当事者の方々の寄稿の応募期間は終了しました。
それでも多くの当事者の方が勇気を持って、出版される本を手にとって欲しいな、と思うのです。
そして、家庭内に隠れている問題を、日のあたる場所に出やすくなる仕組み。
また、その家庭内に隠れてしまう問題を生み出さない仕組み。
この両方を、社会が前向きに考え、改善を目指し、取り組めるよう、まずは「現実を見て」、実態を知って欲しいと思います。
本は出版されますが、まだまだ制作資金が足りません。
寄稿された方々、苦しい胸の内を晒して下さった100名の方への報酬がお支払いできるよう、そして、本の制作に尽力している方々が報われるよう、ご協力を頂ければ嬉しいです。
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