「怖れ」と向き合う
最近、ツイッターはダラダラと更新するも、なかなかブログだったり、自発的なハンドメイド作業に着手が出来ない、という日々が続いています…。
何でしょう。動くのが好きと思っていた自分が、動けない。
急にピタっと止まってしまった…、というよりも、ゆっくりブレーキをかけられて、気づいたら動けなくなっているような感覚で「あれ?私、どうしたんだろう?」というのが正直な気持ちです。
でも、思い当たることがあって。
様々なこと、特に飛びぬけて嬉しいことが起きている感覚があるのに、それがしっかりと「受け取れない」「認められない」でいる自分に気づくことが多いと感じました。
嬉しいはずなのに…。
「わわ、これ…、もし自分が思っていることが事実として起きていたら…、どうしよう、どうしよう…!」となって、動揺して怖くなってしまって…。
それが起きてから、連鎖的にすべてが止まってしまったように思えます…。
この「嬉しいはずなのに怖くなってしまう」という「怖れ」というのが邪魔をしている。
私の人生をもったいないものにしている。
そう思うようになり、図書館に行った時に「何かヒントになるものはないかしら」と手に取ったのが、こちらの書籍です。
私なりの読書メモにまとめてみました。
よく大学教授や、場合によっては中学の先生にもいるかもしれないけど、思いついたまま、授業の内容を黒板などの余白に埋めて行く先生、いますよね。
「順を追って書けよ!」と、見ている側は思うという、あれ。
そんな感じの読書メモで、9枚あります。
メモの解説は特に行わないので、「全体的にもっと知りたい」という方は、書籍をお手に取って下さい。
画像はクリックすると、大きく見える…はずです、確か(うろ覚え)。
ちなみに、自分と向き合うために、自分にかけてみるといい質問としては、書籍には以下のものがありました。
- 「自分にとって大切なことは何なのか」
- 「この出来事が完璧だとして、自分はここから何を学ぶことができるか?」
- 「自分はすでに価値があり、やりたいことをしていいとしたら、どうするか?」
私が最近は出来ていないけども、自分が求めているものを見つける時に使っている質問。
・「一切の制限なしにすべてが叶うとしたら、何が欲しい?何がしたい?」
そしてこれをテーマに、回答を100個書きます。
大抵、最初の10個くらいは「えっと、えっと…」って探しているので、実はそれ、本当に求めているものじゃない。
20個、30個書いて「えー、まだあるじゃん…」と思って、どんどん書いて行く中で「あ、そうだった。これをやろうと思っていたんだ」「あ、これ欲しいんだよね」と出てきたりする。
その中で、共通して出てくるワードがあったりするんですよ。
その共通語が多いものは、本当に自分が好きだったり求めているもので、自分が大事にしているものだというのが分かったりする。
そして、それは自分の経験やその時の価値観や気分、体調などなど、様々な影響で変わっていきます。
だから、1回やって分かったつもりにならない。
何回かやってみると、たとえば3回やってみて、3回とも100個全部が一緒にはならないけども、それでも「毎回必ず出てくるもの」っていうのはある。
それはもう心から欲しいものなので、本気なのだろうと思うんです。
それがたとえ、2次元アイドルのゲームを一生やり続けることでもいいじゃないですか。
「そのゲームの配信が停止になるくらいなら、俺がサーバー買い取るぜ!」くらいの気持ちで、そのサーバー資金を貯めたり、メンテナンスのために必要な知識を身につけていったり、ついでに自分でもゲームが作れるようになって、それが大当たりでもしたら、それはそれでいいじゃないですか。
や、発想がすっ飛んでいるかもしれないけども(笑)。
何かを目指して、それを得るために努力したことが、それ以上の効果となって自分に返って来ることもあるので(これ、私の経験でもあったりする…)。
何をしようと、誰に何を言われようと、最終的には自分が納得して、自分が楽しくて自分が幸せであればいいのだと思うのです。
人に迷惑かけたくないと言っても、迷惑かけていないつもりでも、迷惑に思われることも起きる以上、最初から迷惑は「かかるものだ」と割り切ってしまえばいいんだし。
そして迷惑をかけたくないのなら、独断で決めないで相談しながら進めればいいはずで。
「順番ややり方を間違えるからこそ迷惑と言われるだけで、行為そのものに迷惑だと言っているのではない」という話は、世の中で結構多いと私は思っているんで。
そして読書メモにもありますが「嫌われたくない」とか「自分に許可を出せない」っていうのは、私も後者の方でまだまだ感じている点があるので、すごく分かるんだけども、やっぱりそれは「取り越し苦労」しか生まないし、自分の目的達成の足を引っ張る考えでしかないので、自分の人生を豊かにしたい、幸せに納得できる生活をしたい、幸せに死んでいきたいのであれば、やっぱり「要らない」価値観なのだろうと思います。
私が嬉しいことが起きている感覚があるのに、「わわ、これ…、もし自分が思っていることが事実として起きていたら…、どうしよう、どうしよう…!」となって、動揺して怖くなっていたこと。
でも、この起きていたかもしれないことって、私が心から望んだことです。
ちょっとあまりにも確証が取りにくい話で、説明するのも長くなる(書くのが面倒…)ので書きませんが、本当にずっと心から望んでいたことでした。
・「一切の制限なしにすべてが叶うとしたら、何が欲しい?何がしたい?」
この質問に100個回答を書いて、その100個の回答を書く度に必ず出てきたことでした。
それでも私は心から望んでいたとしても、いざ、現実でそれが起きてしまったような感覚を受け取った時に「私なんてそんな立場じゃない」「私がそうなれるはずがない」と思ってしまっていたからこそ、怖くなったのだろうと思います。
気のせいにしては、出来すぎていて。でも現実としては、大きすぎて。
これから先の未来で「あれは、何だったのよ?」と確認が取りたいですね(笑)。
この本を読んで、読書メモを書きながら…。
いろんな人のことが思い出されたり、思い当たりました。
【私を何かしらで攻撃する/してきた方々(陰口含む)】
今まで、何かしらで私を攻撃してきた人たちは、根底に「怖れ」があったんだな、って。
それは分かっていたけども、その「怖れ」の正体までは分からないけども、やっぱりどこか「自信がない」という共通点はあったのだろうと思いました。
昔はそうでもなかったけど、私が最近、そういうことをされても、何か関わっている物事があるのなら、それを守るためには闘う。
そして自分個人のことは犯罪行為のようなものが見受けられるなら、やっぱり私にも守るものがあるので、それも当然、あらゆる公的手段を使ってでも闘うんだけども(笑)、特に私自身のことをとやかく、ああだこうだ言っている程度なら一切気にしないか、目に余るなら「うるせーんだよ!お前の問題だろ?」と本人に言えるのは、読書メモにもあるように、相手にする必要がない、私には関係のないことで、私には一切の責任がないことだからです。それはこの書籍を読む前から気づいていたので…。
結局は相手の内面にある自信のなさや、自己評価の低さ、怖れがそうさせているのだから。
そこに私がどんなことをしても、効果なんてあるワケがない。
最終的には本人の問題であって、その人たち自身が自分のあり方に気づかない限り、相手を変えて対象や方法を変えて「誰かを攻撃する」ということは終わらないのだろうから。
そう思ったら、本当に私なんて一切その心の動きに関係ない。
たまたま目に入って因縁つけられただけ。そんな人にまともに取りあう必要はないんです。
もっと言ってしまえば、他人がどうこうと、いちいちこちらの行動を見ているなんて、すごくヒマなんだなって思っています。その時間を私にくれよ。その時間で自分と向き合うことをした方が、よっぽど生産性も高いし、未来に繋がって行くのにね。
人の動きを見る前に、自分の心の動きを見た方がいいですよ?
その結果、自分に何が出来るのか。何をすれば状況を好転できそうなのか。
それを考えて行動を起こした方が、自分の出した結果になるのだから、よっぽど納得出来るはずです。
もう私の人生には関わらない人たちだろうけど、どうぞ、自分の納得いく人生を歩んで下さい。
折角生まれてきたのだから、どうせなら、あなたたちなりに幸せになって下さい。
そのためには「今までとは全く真逆になる、避けてきた努力」が必要だということ、そして他人なんて一切関係ないということに、いい加減気づいて下さい。
【私の大切な人たち】
多くの人に共通していて、私にも同じ「怖れ」があると気づきました。
私たちは、あなたは…。
「自己評価が低い」んです。
自分のやることに対して、真っ直ぐにOKが出せないんです。
どこかで「自分なんて」「これをしたら周囲に迷惑が…」と、自分を抑えてしまっているんです。
それはなぜか。
相手を傷つけたくないからです、よね。
特にそれが自分にとって大切で、失いたくない相手だからこそ、慎重になってしまう。
結果、行動が出来ない。言葉だって失ってしまうことがあるのだろうと思います。
逆に、相手を傷つけたくない、相手の期待に応えたいと思って、周囲が驚くほど行動的になり、頑張りすぎてしまうのだろうと思います。
きっと私も含めて、あなたは。
優しすぎるんです。
その優しさが、巡り巡って、自分を傷つけてしまっている。
なぜ自分を傷つけることが出来るかって、「自分には価値がない」「自分はダメなんだ」とどこかで思ってしまっているから。
相手が傷つくくらいなら、自分が傷つこう。
これを知ったら、相手は喜んでくれますか…?
もし、知ってしまったら、相手をもっと傷つけてしまうんですよ…?
価値観や考え方、捉え方が違うのが他人で、その他人は思いもよらぬところで勝手に傷つきます。
同じくらい、予想以上に傷つかないものでもあるんです。
もし、傷つけてしまったら、誠心誠意、謝ればいいじゃないですか。
もし、あなたが大切な人に傷つけられたら、たった一度の相手の失敗、相手から傷つけられたことで、相手と距離を置き、相手を許さないという仕打ちをしますか?
もし「そんなこと、しない!」と本気で思うのなら、相手だってあなたを許してくれます。
つまりは、謝罪を受け入れてくれるんですよ。
あなたは「許される価値」がある人なのです。
謝って挽回できるのであれば、傷つけてしまった失敗だって、謝っていけばいい。
同じ失敗を繰り返さないよう、十分に気をつけていけばいい。
そうやって、信頼関係だって強くなっていく、理解し合えるのだろうと思うんです。
本当に失いたくない、大切にしていきたい存在であればあるほど、「相手に気を遣う」のではなくて、「自分を大切にしていく姿」を見せて行けばいいんじゃないかしら。
もし。
この記事を読んでくれている方が、私のことを何かしらで「好意的」に見てくれているとしたら、私のどんなところが「好きだな」って思ってくれているのか、考えてみてください。
私、一切誰にも気遣いしていないつもりなので(笑)。
自分を大切にしたいからこそ、周囲との関係も大切にしたいだけです。
相手を傷つけたくないんじゃないです。
自分で自分を傷つけるようなことをしたくないんです。
だから、バカ正直すぎるくらいに、素直なのだろうと思います。
時には遠慮のない表現や言葉が出ることもあるって、知っている人は知っていると思います(笑)。
自分をもっと好きになりたい、自分を自分で認められるようになりたいから、他の人のことも認めていきたい、褒めたいんです。良いところを沢山見ていたいんです。
そういう言葉を並べていると、本当に幸せな気持ちになるんです。
誰のためでもない、自分のために私は言葉を綴っています、気持ちを伝えています。
そしてその言葉を綴ることで、自分が相手をどう見ているかを客観的に感じられて、もっと相手が、あなたが好きになって行くことも実感しています。
まだまだ至らないけども。
私はとにかく「自分を」もっと大事にしたいんですね。
そこをずっと怠っていたから、こじれた黒歴史まみれの人生だったのだろうから(笑)。
もし、こんな私のエゴでしかない言葉に心を打たれ、何かのプラスになっていたり、私に興味を持ってくれている人がいる、私のことを「好きだ」と思ってくれる人がいるのなら、本当に嬉しいことです。
そして誰かの、あなたの力になれているのなら。
大好きで大切なあなたたちの、あなたの力になれているのなら、本当に嬉しいです。
私は、あなたはダメなんかじゃない。
価値がある存在なんです。
あなたが私の存在を「価値がある」と認めてくれているように。
私もあなたの存在を「価値がある」と認めています。
自分を疑わないで。
間違いなくあなたには「価値」があります。
私自身、まだこの読書メモを書いただけで、自分への質問を行っていません。
しっかり着手したり、短時間でも自分と向き合う時間をとって、「怖れ」を減らしていきたい。
しっかりと起きている現実を受け止められるようになる。
望んだ欲しいものは、やっぱり遠慮なく手に入れたいですものね、誰だって。
本気で「欲しい」「なりたい」「やりたい」と求めれば。
そして自分がそれを受け取る、行動するだけの「価値」があると「信じる」。
ただ信じるだけでは何も生まれないけども、それに伴う行動が必要だけども、でも信じないまま行動したって、望む結果が得られない。
それなら望む結果が得られるよう、まずは自分を前向きに信じましょう。
慣れていない考え方は抵抗あるけどね。
自分の人生のためです。お互いに頑張りましょう☆
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