三つ子の魂百まで(インナーチャイルドからの手紙)
ゴールデンウィーク明けにカウンセリングを受けて来て、改めて「インナーチャイルドを癒す」必要性を感じました。
その時のカウンセリングについては、前回のブログに書きましたので、ご興味のある方はご参照頂ければと思います。
そして、インナーチャイルドへの癒し…。
これは本当になかなか我ながら手ごわいです。
そして本当に自分の調子などをしっかり感じ取らないと、がっつり傷ついてしまって、辛さが増してしまうこともあると思うんですよね。
人によってその程度は違うので、自分で対応して上手く行く人もいれば、カウンセラーさんにお願いしても、なかなか解消出来ない、私のような人もいます。
それでも私は徐々に、インナーチャイルドへの癒しを与える方向に、やっと意識が向き始めているのかもしれない。
そんな気がしているのと、がっつり傷ついてしまうのも感覚として理解しているし、その傷つき方はもしかしたら「好転反応」である可能性もあるのだし、自分が無理のないように、セルフケアをしてみようと思い、チャレンジしてみたのが、以下のリンクでの方法。
私はこの中にある「インナーチャイルドへの手紙を書く」というものを実践してみました。
・・・
自分では思ってもみなかったことが分かった気持ちになりました。
大人の私は、子供の頃の私に対して、労いの言葉をかけて、褒め言葉を伝えました。
でも、子供の私から大人の私への手紙は、全く違う内容でした。
大人になった輝凛ちゃんは、結婚していますか?
赤ちゃんは出来ましたか?
お母さんのように、美味しいお料理は作れるようになりましたか?
私は、お父さんのように優しい人が大好きです。私は、お母さんのようになりたいです。
何にも、小さい頃から抱いていた、ごくごく当たり前で身近な夢を果たせないでいたんだな、と思いました。
結婚どころか、恋愛下手だし。料理も軽度とはいえ先端恐怖症で包丁が怖くて料理をする気力が出て来ない。
そして確かに私は小さな頃はお父さん子で、「お父さんと結婚する!」と良く言っている子でした。お父さんが大好きだったなぁ、と思い出しました。
そして同じくらいにお母さんが大好きだった。
私には2歳下の弟がいるのですが、弟の存在に、父親や母親を奪われたと思って傷ついたことも多かったし、もっと両親と沢山スキンシップを取りたかったし、甘えたかった。
そして家族4人で沢山過ごしたかった。
全くタイミングは覚えていないけども、父親が徐々に家に帰って来なくなり、お金にも困るようになり、母親が昼夜問わず働くようになって。
自分では考える暇も選択肢も何もなく、目の前のことをこなすことが精一杯になっていったのが、小学校4年生くらいの時からなのかな?
それより前、幼稚園や小学校低学年の時は本当に毎日が楽しかったように思えて…。
その頃の家族が大好きだから、私は街で見かける家族の姿や小さな子供が大好きなのかもしれません。
今現在、私は就職活動というか、生活の基盤となる「収入」を得るための仕事を探しているのですが、「何がしたい」というのが分からないままだったということをカウンセリングで気づいて。
それでも将来的には副業としてでも、カウンセラーをやっていきたくて。
その夢を成り立たせるためにも、そして趣味を充実させていくためにも、生活の基盤となる「収入」を得るための仕事を見つけていき、それが自分の趣味や将来やりたいことに繋がればラッキー、と思っていたり。
でも、本来の私は「納得のいく、好きな仕事をする」なんてこと以上に、しっかり家庭を持って、平凡に家族で楽しく過ごすことを望んでいるんだな、と思ったんですよね…。
が。
生きて行くには仕事をしなければいけないのよね、今のご時世だと。
年齢的に子供を授かることは難しいかもしれないけども、結婚はしたいと思っているから、そこはやっぱり父親の持っていた「優しさ」、父とは種類が違っていてもいいので、私が「この人、優しいな」と思える人をしっかり選んだ方がいいのだろうな、とも思えて。
そして選ぶ仕事も、どこか家庭と繋がっていたりする仕事がいいのかもしれない。
ただ、家事がそんなに得意じゃないからね(爆)。
そこはハンドメイド活動を深めるだけでもいいのかもしれない。
ただ、やっぱり仕事に「やりがい」を求めるのではなく、生活の基盤であり、自分の帰る場所でもあり基盤は「家族」だよね、というのは忘れちゃいけないんだろうな、って。
ちなみに。
先ほどリンクしたサイトにもあるよう、子供の頃からの手紙は「利き手ではない手で書く」のですが、驚くほど自分が字を覚えて、一生懸命練習していた時の字と似ていました。
その後、小さい頃も大好きで、今も時間が出来た時にたま~にやるようになった、塗り絵が無性にやりたくなって、塗りました。
使っているプリンターのネットサービスで、自動で印刷される塗り絵です。
一番最初に乗った自転車は、「アルプスの少女ハイジ」が描かれたピンク色の自転車でした。弟も乗りたがって、自転車の取りあいで2人で泣きながらケンカしていたのを覚えています(写真にも残っています)。
次に乗っていたのは、確か赤い自転車。
母方の祖母から譲り受けた自転車も赤色で、それは高校生の時によく使っていました。
今の自転車(全然乗ってない…)は水色。
この3色は使おうと思って、色を塗りました。
後は全部適当というか、直感というか、何も考えずに塗りました。
それと、その前のブログ記事でも紹介しました書籍「ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。」を読んで、そこでもやはりインナーチャイルドへの働きかけのようなワークがあります。
カウンセリングでも指摘されたのですが、そのワークを通じて改めて気づいたこと。
父への愛情というか、喪失感というか。
音信不通で所在不明ですからね…。
私が15歳の時に両親は正式に離婚しているのですが、その思春期の頃に話した会話が最後なワケで、家に帰って来ず、お金も入れず、母に苦労をさせていた父のことを私は受け入れられなかったので、父から見たら酷い言葉を言っていたでしょうし(今でも覚えていますが、娘に怒られないような生き方をしていれば良かっただけなので、あの言葉に対して私は現時点でも後悔はしていないんですけどね)。
子供達に合わせる顔がないと思っているかもしれないし、無理にどうにかしてくれとは思わないし、こちらも申し訳ないけど、探そうという気持ちが出て来ないし、今はそのような様々な余裕がない状態ではあるのだけども…。
どこかで元気で暮らしていてくれたら、と思います。
父方の家族は私はちょっと「合わない」というか、理解出来ない方々が多くて、疎遠なんですよね…。
ただ、私の顔は父親にそっくりだし、父も私も商業高校出身で、父は珠算(そろばん)が得意だったことが誇りで(でも3級ってよーく考えたら、当たり前だよね。私は珠算は苦手で4級までしか取れなかったけど/苦笑)、私は簿記や情報処理が得意だったのが、今でも誇りでそれが仕事選びにあまり苦労しない基盤になっています。
そして私も父も、「書く」という作業が好きで、事務作業や文房具が大好き。
味付けも私は父の好みと似ていて、父は四国の出身なのもあって、薄味が好きです。
母と弟は関西圏の人のノリがあまり好きじゃないようですが、私と父はむしろ「好き」と思っていたし、私の外出好き、音楽好き、好奇心旺盛なところは父親譲りです。
そういう、父親と似ている点が沢山あることを忘れていたように思いました。
他にも、私は幼少期から、とにかくよくしゃべる(笑)。
母方の祖母から「本当によくしゃべるわねぇ…。朝から晩まで、すずめちゃんね」と言われていたくらいです(苦笑)。
ブログもメールなども、長い傾向にあるのは、その影響だと思うんですよね。
何でだろう、と。
別に「分かって欲しい!」「説明したい!」というのはないんですけども。
ただ、先述の書籍、「ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。」を読んで、「え?そうなの?みんなは違うの?」と思ったことが沢山あったりしたのですが…。
HSPの性質を持つ人って、見えるものも違うようで。
書籍のあるページの中にあったのが、HSPの性質を持つある人の一番最初の記憶が、空気中を舞う埃が光に反射して、キラキラ輝いているのを見ている、というものなんだそうで。
そしてこの風景、HSPの性質を持つ人ならでは、という特徴的な風景のようなのですが、え?小さい頃って、皆こういう風に、晴れた日の室内とか、お掃除している時などに、キラキラしたものって、見えるものだと思ってた(汗。
もしかしたら、小さい頃の私、今もそうだけど、自分が見える世界、感じ取っている世界で「これこれ!このこと、知って欲しいの!」「見てこれ!キレイ!可愛い!スゴイ!」とか「何でか教えて欲しいの!」という、好奇心(疑問も好奇心の1つだと思います)や感動の共有を「言葉で」したいのかもしれない。
だから人の「言葉」や「感情」「考え」に敏感なのかもしれない。
そんな私の子供の頃のことを、的確に診断してくれたサイトがこちら。
◆幼児期にありそうな事
「他にやる事がないと、親に向かってひたすらお喋りを続ける。」
↑これな(苦笑)。
◆入学後(小学校、中学校、高校)
「会話を通じてのフィードバッグがあったり、自分の成長を他人と共有できるとよく伸びる。」
「社会科や道徳などにも興味を示すが、詳細まで暗記する学習は好まない。」
↑これもそう。今でも暗記だけするのが苦手。なので、たった4ケタでも様々な番号が覚えられない。
◆家庭
「ものを捨てるのに未練がある。」
「両親が不仲だと特にダメージを受けやすい。引きこもりがちで不安定な子供に成長したり、精神的肉体的な問題を抱える事がある。」
↑見てたんですか(苦笑)、と。的確すぎます。
私はこの診断を見ても「あ、私こんな子だった」と思い出すことで、また自分の子供の頃のことを思い出したりで、昔の自分からのメッセージを受け取ったりで活用できました。
そして私はやっぱり「言葉」なんだろうなぁ…。そこでの表現や交流が好きなんだろうな。
「三つ子の魂百まで」とは良く言ったもので、幼少期の自分にこそ、手掛かりがあるんだな、と思えました。
そして。
カウンセリングを受けたり、自分でも勉強したり、色んな本を読んだりで、自分の事を知って行くって、やっぱり大事だね。
何かの知識を得ることより、よっぽど大事だな、と。
それをしたおかげで、今まで「私、どこかおかしいのかな?」と思えたりしたことでも、「あ、私はこういう性質を持ち合わせているだけで、それが良いとか悪いとかではなく、ただ持っているだけなのね。」と思えるようになれたので、どんどん気楽になっていけるというか。
まだまだ、きっと、深い部分までへの癒しは必要だけども。
自分が分かって行くことの大切さを掴めたのは本当に大きいです。
今、何かで悩んでいたりする人の参考になれば、幸いです。
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